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佐野藤三郎物語り

佐野藤三郎は人を引き付ける魅力と行動力で農民の為、地域住民の生活の向上の為に芦沼と呼ばれるほどの湿地帯であった亀田郷の乾田化と、乾田化後の農業技術の確立に努めみごと事業を成し遂げた。

芦沼の農作業様子

佐野 藤三郎 物語

亀田郷とは市町村制上の行政単位ではなく、亀田郷土地改良区の呼称で、信濃川、阿賀野川の河川に囲まれた、東西約12キロ、南北約11キロの輪中地帯。新潟市の中心部、面積11,000haの米どころ新潟でも有数の穀倉地帯。その3分の2が海抜ゼロメートル地帯で周囲の川より2メートル低く、近くにある鳥屋野潟(とやのがた)を中心部としたすり鉢状の地形で放っておけば川から水が流れ込んでくる地帯です。戦後まもなくまで、亀田郷の大半が常に湛水状態にあり、これを評して「地図にない湖」といわれてきた。

佐野藤三郎

 
田植えや稲刈りの際には、胸や腰まである泥水につかりながら何時間もかかる農作業は過酷を極めました。さらに大河川の氾濫による洪水常襲地帯では、三年に一度は収穫皆無の水田もあったといわれる。稲刈り前日に大雨が降り、穂先まで水につかり収穫量が激減するなど苦労の連続でした。
襲いかかる両大河の水を鎮め、深田を乾田化するのは亀田郷農民の夢であり、悲願であった。
 

 
佐野藤三郎は1923年(大正12年)旧石山村中木戸(現在の新潟市東区下木戸)の小作農家で生まれた。幼いころから両親の過酷な労働を見るにつけ、なんとかしたいと思っていた。
1941年(昭和16年)国鉄新潟鉄道教習所へ入所。終戦後、農民組合に参加し、全国最年少で農地委員に就任。
その間、次々と農地改革を行い類まれなる行動力で栗の木排水機場整備が1948年(昭和23年)に完成。当時東洋一とうたわれた毎秒40トンの排水能力を持ち、稼働すると郷内から水が引き始め郷内の水位が1.5メートル下がり、さながら 新しい土地が浮上したようだったと書かれています。両親の苦労から解放したいという佐野藤三郎の幼い頃の夢が叶った瞬間でした。
 

栗の木排水機

 
その後10年に及ぶ地域農民総出の水路改修と耕地整理により、網の目のように用排水路網が整備され、前述のように県内有数の稲作地帯となった。

 
1951年(昭和26年)亀田郷土地改良区総代に選出され、1955年(昭和30年)同理事長就任。芦沼と呼ばれるほどの湿地帯であった亀田郷の乾田化と乾田化後の農業技術の確立に努めた。
 
1976年(昭和51年)から度々訪中し、中国東北部黒龍江省の三江平原をはじめとする農業開発の技術指導の中心者となった。
1978年(昭和53年)に亀田郷農民友好訪中団として北京に滞在していたとき、当時の王震副総理からの依頼で中国の三江平原の土地改良に取り組んだ。佐野は日本で民間調査団(この時、佐野の誘いで日中技術交流に参加した中に奥村俊二や中山輝也がいた)を結成して、調査に着手する。依頼を受けたのは日中国交正常化(1972年)から7年後のことで、経済援助の仕組みがなかったが、佐野は日本政府に働きかけ、竜頭橋ダム建設への30億円の円借款供与を引き出した。
 
1991年に25メートルプールを4秒で排水する施設とコンピュータが24時間、郷内の水利施設を一元管理し、水害が無縁のものとなりました。
 
1994年3月24日農林水産大臣賞(ダイヤモンド賞)を受賞後くも膜下出血で倒れ、翌3月25日に亡くなった。
2010年10月29日 佐野藤三郎記念 食の新潟国際賞が創設されました。
 
佐野藤三郎は人を引き付ける魅力と行動力で農民の為、地域住民の生活の向上の為にみごと事業を成し遂げた。
この精神は、亀田郷土地改良区の住民の医療向上の為、新潟医療生協の初代理事:佐野誠一、初代専務:三膳秋坪へと引き継がれ新潟医療生活協同組合の設立~木戸病院の建設・開設となったのです。


佐野 藤三郎(さの とうざぶろう)
生誕 1923年(大正12年)11月25日
旧石山村(現新潟市)中木戸
死没 1994年(平成6年)3月25日(満70歳没)
新潟県の土地改良事業の功労者。


栄誉歴
• 1979年(昭和54年) 農林大臣表彰受賞
• 1984年(昭和59年) 黄綬褒章受賞
• 1992年(平成4年) 第10回アジア・アフリカ賞、新潟市政功労賞受賞
• 1993年(平成5年) 第1回環日本海新潟賞制定記念特別賞受賞
• 1994年(平成6年) 農林水産大臣賞(ダイヤモンド賞)、正六位勲四等瑞賓章受賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)